FM三重『ウィークエンドカフェ』2018年7月28日放送

今回のお客様は銅版画家の吉田賢治さん。
海女の故郷、志摩市志摩町に吉田さんのアトリエがあります。
初めて見た海女の姿は、吉田さんの心を大きく惹きつけました。
夏の朝、海女さんたちが海に出る時間になると吉田さんは海岸へ行き、デッサンをします。
そして、その海女の姿を銅版画に刻んでいきます。

い磯着の海女さんは神秘的

たまたま妻の実家がこちらで、生家が空いたもので移住して来ました。
それから30年も住むとは思っていませんでしたね。
来てみるとここは、海女漁の地域でした。
海女さんは、現在は磯着ではなくウエットスーツで潜っていますが、来た当初は漁港がなくて、みなさん昔から船を一斉に浜にあげ、次の朝、またみんなで船を押し出すという、昔ながらの方法で漁をしていたんですね。
それを見たときに、スポッと昔にはまり込んだ気がして、不思議でなりませんでした。
また海女さんは身体が力強くて大きくてがっしりしていて、ウエットスーツを着ているととても躍動感があるんです。
これは一体何だろうと、画家なので絵心を掻き立てられ、スケッチをしているうちに海女の絵を描きだしました。
それがけっこう評判となったので、そのまま描いているという感じです。
磯着を着ている海女さんは、今はいませんが、その海女さんに対しては神秘的な感じもし、理想的な私の女性像として描いています。
一方、ウエットスーツの海女さんで力強い姿を表現しようと、二種類の海女さんを描いています。

 

女さんを見ていると命の循環を感じる

海女さんも最初の頃は風俗や文化が面白いから描いていましたが、いつまでも同じ感性が続くわけではありません。
海女さんを描くのにも動機があるわけです。
長年、なぜ海女さんを描き続けられたのかというと、彼女たちの奥にある命の循環、海という生命の源・・・海女さんは女性で、海女さん自体も命を生み出して次につなげていくという、広い意味での『命』のようなものが、どこかにテーマ性があり、それらを海女さんに感じたのだと思います。
だから今まで続いているというか・・・。
だから海女以外にも描きますけど、一貫しているのは『命』というテーマ。
命を描いてどうなるのかと問われても困りますが、我々は言葉にならない物を、絵を通じて表現しているわけです。
小説や音楽も、自分の中にあるものをなにかの形を借りて表現することだと思うので、私は絵で、内にあるものを吐き出しているということですね。

 

こまでやってこられたのは自分の人生に携わってくれた人のおかげ

昔は産婆さんを呼んで出産しましたが、弟が生まれるときに私は、産婆さんが通る廊下に、白墨でずっと電車の絵を描いていたらしいです。
学生時代に、行きたい学校に行けないなどの失敗もあり、どこに進むか悩んだときに、「お前は昔から絵がうまかったので、そちらに進みなさい」と親に言われ、工業高校のデザイン化に進みました。
デザインと絵と一緒なんですね。
高校3年間過ごし、その後を考えたときに、東京に出てデザインの仕事をしようと思いました。
そのときに親から、これからの時代は大学を出ておくべきだと言われ、ちょうどその頃開校した愛知芸術大学に、1年浪人して入学しました。
人生はちょっとしたきっかけの連続です。
大学を出てからの40数年、ここまでやってこられたのは、多くの方からの愛情や助けがあったからだと思います。
挫折もありましたが、周りの人が私を押し上げてくれたら、今があるような気がします。
人生に「もし」はありませんが、なにか根本的にものを作るということが自分に合っていたんでしょうね。

 

っとゆっくりやっていこうと思っていたけどペースは速くなる

銅版画は小さな作品ですが、費やすエネルギーや時間を考えていくと、油絵の100号200号に匹敵する密度の高い製作と作品です。
展覧会が終わるといつも、2〜3年後の次の個展が決まるのですが、そうなると決まった時点からずっと2〜3年後の予定が頭から離れません。
一番考えるのは、このスペースをどうやって埋めようかということ。
20〜30点の作品がないといけません。
1年だと12点しかできない。
2年で24点。
それがすべて良い作品になるとは限りません・・・そうやって、悩みながら40年近く来たわけです。
これからこういう作品を作っていきたいと思うことはあっても、個展があるからまた今度ね・・・でずっと来てしまいました。
それで、去年の個展が終わった時に次の予定が決まっていなかったので、しばらく個展をやめて、あれこれ考えながらゆっくり作品の構想を練ろうと思いました。
が、だんだんとつまらなくなり、自分は毎日何をやっているのだろうと不満が溜まってきました。
そうこうしているうちに、洋画協会展の作品の期日が迫ってきていて、困ったと言いながら作り出すわけなんです。
作り出してアトリエの中にいると、とても自分の居場所ができた感じがして、やっぱり作っていないとだめなんだ、と思いました。

自分の望み通りに生きてこられたことは、苦労もありましたが幸せですね。